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木馬

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木馬館が閉店してから、この木馬は何度引越しさせられたのだろう。
目黒のマンション・横浜のテラスハウス・海風が冷たい磯子のマンション、
そして、厚木の米軍基地に程近い米軍機が飛来するこのマンション。

遠い昔、英国で作られて、どんな子供達をその背中に乗せていたのだろう。
思いは馳せ・・・木馬がたどった運命をふと考える。
木馬館という小さなCafeの中でも沢山の人々の人生を見てきたはず。
あの頃、17歳だった高校生達も40歳になりました。
お揃いのジャンパーを作り苺ソーダを飲んで、50ccバイクの免許を取り始めていた少年達。皆サーファーに憧れていました。

1億5千万の一戸建てに住んでいたお金持ちの中田嘉子似の幸せ家族・・・・
実は悪徳詐欺男と妾とその子供で最後まで嘘で固めて逃げる様に越して行ったんだっけ。

よくランチに来てくれていた高校教師・・・・いつだったか夜にカウンターで
貴方を待ちわびていた美しい女性は卒業したばかりの教え子だったのですね。
あの年頃の女の子は急に綺麗になりますからね。グラッときますわな。

今は無き某生命保険会社の新米営業マン、苦労して頑張って初めて契約を取れた日に飲んだ一杯の珈琲。嬉しくて男泣きの鼻水珈琲でしたね。

バンド仲間風な数人で午後から夕暮れ時までお茶していた貴女は、パープルタウンを偉く上手く口ずさんでいましたが、まさか本物の八神純子さんだとは気づきませんでした。アメリカでの暮らしはいかがですか?

木馬館で出会って結婚した友人が2組、あ・・・makoもでした。
二人は別れたけどまさか自分もそうなるとは・・・
木馬よ・・・縁結びは苦手だった?

高校生たちは大学、就職、結婚、子育て・・・と当たり前に大人になってゆきました。
今日の回想には出てこなかった沢山の人々の人生がある様に、また自分にも
怒涛の様な人生がありました。


人生も終わりに近い位後半になって、今ようやく静かな時を生きています。
それは子供時代から与えられる事の無かった安らぎです。
どうして初めからこの人と巡り合えなかったのだろう・・・・

離婚して自分の為の人生というものをもう一度リセットする決心をしてから
は気持ちは強く持とうとしていても何時も心細かった。
これからどうなっていくのだろう・・・・自由を手に入れた代償は先行きの
不安でした。

人の恋愛感情とは不思議なものです。
その人をずっと知っていました。
毎日同じ場所で同じ仕事をしていたのですから。

気持ちや形式をけじめた途端に好きと言う感情に火が着く。もはや炎上!

きっと好きには、憧れ程度と情熱の好きがあって、その情熱の好きにもまだまだ若くて、今失敗しても次があるさ、明日があるさの余裕年齢組と、終わりの人生の断崖絶壁でもうこれが最後の恋というギリギリの感情の好きがあるのです。勿論いくつになっても恋が出来るひともいますが・・・・。
mako断崖絶壁型でした。

あの頃自分達は一日が一週間のような、一週間が一ヶ月のような凝縮した感情で時を過ごしました。
互いがそんな気持ちになって日が浅いのにまるで高速度撮影の映像のような日々でした。
彼はmakoより十歳も年上ですから、今始まった二人の愛情はこの先何十年と
育む時間が無い事を私達は知っていました。

後、何年この人と過ごせるのだろう。
こんなにも会いたかった人と・・・・・


二人の周囲には様々な障害がありましたが、残された時間を考えて離婚後七ヶ月で一緒になりました。
木馬は持ち主の運命や人生をも見てきています。



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スクラップブッキング

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スクラップブッキング~あなたも想い出アーティスト~というフレーズに
まんまとはまりました。
「残したい笑顔」は写真で「伝えたい感動」は言葉で・・・写真を思いのままにレイアウトして想い出を自分らしく素敵に残すクラフトです。
文具の呉竹が米国で発展してきたこのスクラップブッキングという文化を
商品戦略として日本市場に展開させています。
その商品はアルバムの台紙として使うあらゆる素材や色柄のペーパー・言葉を書く為のマーカー・写真を切るジグザグや波型カットのハサミ・くり抜き道具のパンチ類・ステッカー・糊・飾りボタン・リボンETC・・・・

子供達はすっかり成長してしまい今更アルバムでもないんだけど・・・・
・・・・木馬館の看板や扉、蔦,幼かった娘の愛、懐かしい人々との交流を
きちんと残したいなぁ・・・・なんて、呉竹の戦略に引っかかりました。

道具類
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昔からシール好き
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ナナという猫の事

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かつて家族であったM家には5匹の猫達が勢力争いの中、やむなく共存していました。
野良出身の猫達の中に紅一点、育ちの違うモンプチみたいな猫が居ました。
メインクーンの血統書トリプルAクラスのナナ。
元、夫kが気紛れで衝動買いしたM家最大の高額プライス猫でした。
kは元々が猫嫌いで、最初に預かってしまった茶トラの子猫チビを邪魔にしていたはずが、次第に心の拠り所相手と変化してゆき、あれよあれよと言う間にチビの居ない生活はあり得ない人生を歩んで行きました。
チビの次にやって来たのがエノキダケみたいな猫のロク、次がアメリカンショートヘアーのハーフ猫のハチ、そしてナナ、最後は息子が拾ってきたギャル男ことキュウちゃん。

M家ではチビだけがVIP待遇で、暖かいリビングや寝室に我が物顔で君臨できました。眠る時はKの枕に小さな頭を沈めて布団をかけてお休みになられると
いったお殿様です。もっとも彼は日本猫大賞準優勝に輝く過去を持つ6.5Kの
あっぱれ猫です。
VIPチビ以外の猫達はリビングさえも入れてもらえずドアの向こうでしのぎを削りあって生きていました。
猫達にも気が合う合わないがあるようで、エノキダケのロクとキュウちゃんは
仲良しで息子の部屋で共存、しかしアメショーのハーフ、ハチとナナは最悪の関係だったようです。
ハチの奴、眉間にしわを寄せて唸ってはナナを威嚇し追いかけたり、脅かし続けていたようで、とうとう窓辺に追い詰めれたナナは勢い余って網戸を破って2階から外に転落。
骨折してうずくまっていたという惨劇。
それからもゴジラ顔のハチは執拗にナナを追い詰め、一日中暗い玄関のたたき以外ナナの居場所はありませんでした。
やっとごはんに、ありつけられる時でもハチは脅かしていたらしくナナは万年下痢症候群。
そんなM家からナナの身請け依頼が来て、夫と相談して引き取ったのが昨年秋のことです。
モンプチな外見なのにカリカリ餌しか与えられなかったナナ・・。
背骨が異様に目立ってガリガリな姿・・・。
足にはボルトが入っているらしくダランとした足。

レアレアなゼリー寄せの缶詰をあげたらこの世にこんなに美味しい物があったのか・・・・って勢いで食べていました。
甘える事を知らない臆病なナナでしたが、次第に我が家にも気持ちを許してきて・・・・・こんなにふっくらとしてきました。

ストレス発散相手のナナが居なくなったハチは、元夫の新しい奥さんを標的にしていきなり蹴りを入れて走り去ったとか・・・・
皆もリビングでチビみたいにゴロゴロしたいのかな・・・・

チビが親分で6・7・8・9って続く名前だったのです。


横浜山手の散歩

横浜山手の西洋館巡りをしました。
その昔・・・山手には多くの外交官や貿易商達が家族と共に暮らしていました。今でもその面影を残しているのが山手本通り沿いにある7つの西洋館です。
山手外人墓地沿いに坂道を登って行くと山手十番館が見えて来ます。
山手聖公会(教会)を超えると山手234番館。ここには様々な人々が入れ替わり
居住していました。
そしてそれぞれのクリスマスを過ごした記述が残されていました。
同じ窓から船の汽笛を聞き、同じ暖炉に薪をくべていくつもの時代を色々な
家族たちが過ごしたのです。



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記述より抜粋
クリスマスには七面鳥とスタッフィング、カブ、マッシュポテト、プラム、プリン、ラムソースのミンチパイを食べました。戦争間近では、ありましたが幸せな時でした。
私達は不思議なクリスマスツリーを持っていました。それは茶色のガラスのオーナメントやサンタクロース、そして小さなガラスの家々、小枝の間をミステリアスに揺れるカラーのライトで飾り付けられていました。
私はクリスマスの朝、ツリーの下にサンタクロースから素敵な洋服をもらえる様にお願いの手紙を書きました。手紙を折りたたみ、暖炉の火に投げ入れ煙突の上の方に灰が舞い上がっていくのを見届けました。
これはサンタクロースと私だけの秘密でした。  夜が明けると部屋の床にはそこにはなかったはずの大きくて暗い何かがありました。
それは子供サイズのミニチュアのグローサリーショップでした。
またツリーの下には銀色のトップ、白いチューレのチュチュ、銀色の靴、先端に球が着いた魔法の棒そして銀のティアラがありました。(1940~1941)


モノクロの写真の中のクリスマス
モノクロの家族達

日本なのにここだけが外国の映画の中の世界でした。

 
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それからベーリックホールを回り,えのき亭でお茶をしてブリキの玩具博物館で懐かしい玩具を眺めてから、一年中クリスマスの店で和んで外人墓地の坂道に戻って帰るのがお気に入りの散歩コースです。

新しい仕事に入る前の、幸せな1月の記事でした。
今は疲労が抜けずデローンとしています。
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プロフィール

mako

Author:mako
その昔、木馬館というCafeをやっていました。

天然石ビーズのお店でジュエリースクール講師を務めてからその後独立。日夜「大人の女性の為のアクセサリー作り」を考えて暮らしてます。
家族は宇宙人の哲爺。

「ねむの木のテラスから」こちらはアクセサリー発信のお教室ブログです。
どうぞ遊びにいらしてくださいね。

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